現代アートを鑑賞するということはどういうことなのか

特に、20世紀に入ってくると、ピカソやダリ、シュールレアリスムという動きが出てきて、抽象的なアートが台頭してきた。

これらの作品は、抽象的なものが多く、それらのアートに共感をもつか否かは、鑑賞する者の想像力に多くが委ねられているという側面が、現代アートのもつ大きな要素なのかと思われる。

しかし、抽象的なものであるとしても、アートにまったくの素人の落書きが、人気を博すアートになるということではない。素人の描いた落書きと、美術を専門的に学んだアーティストの描いた”落書き”との間の違いを区別できないと感じる方々も多いことだろう。

そうなると、これらの違いは何なのか?

アートというものはそれを観る者に全てを委ねられているのだろうか?

もちろん、そういう側面は、現代アートはもっているのだが、それだけではない。

ここで、村上隆氏の言葉が参考になる。

『コンテンポラリーアートはスペシャリティコーヒーやうんちくラーメン道と同じく、文脈を学んで感じるのと、無知で体験するのとでは、全く違うのです。「いや、わたしは感じるママが正しいと思う」そう思う方にはコンテンポラリーアートは表層しか観て感じることはできません。』

そうでないと(”文脈”がないと)、なぜ、素人の作品が評価されず(アート市場でも価値がつきにくく)、プロの作品が評価される(アート市場でも値が高くつく)のか、ということにならなくなると言っても言い過ぎではなくなってしまう。

だから、コンテンポラリーアートを鑑賞する(理解しようとする)には、”文脈”(アートの歴史のながれ、作品の構図の意味などの知識)が必要になるということ。これは、アートを鑑賞する者に、作品を理解するために、”文脈”という”敷居”があるということ。
誰でも、コンテンポラリーアートを理解できるものではないということになる。

でもやはり、アートというカテゴリはものすごく表現の幅がひろいので、このような考えをすべてのアート作品の鑑賞にあてはめることはできないのだが・・・。

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