1899年 岡山県和気郡伊里村穂浪に生まれる、本名敬二 1938年 穂浪在住の正宗白鳥の弟で万葉学者の正宗敦夫から、 備前焼を焼くことを勧められる 1948年 国の指定による丸技作家の資格を受ける、この時資格を 得られたのは備前焼では金重陶陽、山本陶秀、藤原 啓の三人だけである 1954年 春、北大路魯山人の斡旋により、個展(日本橋高島屋) 岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定される 1956年 日本工芸会正会員に推される 1958年 日本工芸理事に推される、以後35年まで理事を勤める 1970年 4月25日、文化財保護委員会から「備前焼」の 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される 1972年 春、勲四等旭日章を受ける 1973年 岡山県から三木記念賞を受ける 1975年 迎賓館に「備前水指」「備前花入」を納める 1979年 1月「傘寿記念展」(岡山天満屋、姫路、山陽、日本橋高島屋)を開催 1983年 11月12日、肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて死去 同日、勲三等瑞宝章を受ける |