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平成と令和の時代のアートを比べてみると

 「昭和が終わり、平成の始まった1989年から2010年。」の20年間に、「日本ではどのような美術が生まれ、どのような表現が世界へと発信されていったのでしょうか」をテーマとした「時代のプリズムPrism of the Real 日本で生まれた美術表現MAKING ART IN JAPAN1989-2010」が、2025年9月3日から12月8日まで、六本木の国立新美術館で開催されているので、行って来ました。

国立新美術館 時代のプリズムPrism of the Real

ところで、皆さんは元号と西暦ちゃんと対応できていますか?昭和は昭和天皇の在位期間である1926年12月25日(昭和元年)から1989年1月7日(昭和64年)まで、平成は平成天皇の在位期間である1989年1月8日(平成元年)から2019年年4月30日(平成31年)まで、令和は令和天皇の在位期間である2019年5月1日(令和元年)から現在の2025年(令和7年)となっているんです。

 元号で時代を区切ることにどういう意味があるのかしらん?っという気がしないでもないですが、日本の文化伝統の中で生活している私たちには、この元号による時代区分が、生活や気分に大きな影響を与えることもありますよね。「昭和もついに終わって平成か」とか「あれもう令和か」とかありますよね。

 さて、時代のプリズム展では、先ず海外のアーティストが来日し、国内でパフォーマンスや講演を行った様子が紹介されていました。説明を読むと、1980年代から海外のアーティストが日本を目指して来日するようになったそうです。ナムジュン・パイクやヨーゼフ・ボイスなど、そうそうたるアーティストの写真が展示されていました。
ここで印象に残った海外アーティストはクリストで、「アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト」が紹介されていました。茨城県の常陸太田市から日立市にまたがる19キロメートル(!)の場所と、アメリカのカルフォルニア州の96.5キロメートル(!!)に巨大な傘が並べられたプロジェクトで、日本ののんびりした田んぼとアメリカの広大な風景の繋がりと対比が興味深かったです。

クリストの作品

 これまで日本の現代美術といえば海外では「もの派」と思われていましたが、「1989年」は、1月に昭和天皇が崩御、日本はバブル経済の絶頂期でもあり、日本美術においてもヴェネツィア・ビエンナーレで有望な若手作家を紹介する「アペルト」部門(1995年まで)で宮島達男と森村泰昌が選出されで国際的な評価を得たり、日本美術にとっても大きな転換点だったと思います。ヴェネツィア・ビエンナーレなどの国際美術展で高い評価を受けるというのも重要ですよね。

さて、クリスト次の部屋に森村泰昌の写真を用いた作品や、村上隆のランドセルやブラモデルの作品があり、村上隆の作品は、最初は誰の作品だか分かりませんでした。これまでにない素材(レゴブロックやランドセル、プラモデルなど・・・)を使って、それまでの戦後日本美術とは違う独自性や、美術界や社会への批評性のある表現が紹介されていました。

村上隆のランドセル作品

村上隆のプラモデル作品

次に、宮島達男のデジタル・カウンター、奈良美智、ヤノベケンジ、風間サチコなど、
「死」「戦争」「核」などに向き合った多くの作家の作品が紹介されていました。

特に奈良美智の「Agent Orange」は、「ベトナム戦争中にアメリカ軍が使用したことで知られる化学兵器「エージェントオレンジ(枯葉剤)」にちなむ。」作品だったことで、じっとこちらを見つめる少女とのコントラストが衝撃的でした。

また、奈良美智の作品の向いには、ヤノベケンジが防護服の「アトムスーツ」を着てチョルノービリ(チェルノブイリ)にて撮影した写真と、実際の「アトムスーツ」が重々しく展示されていました。
この作品の当時も阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが起こりましたが、その後の東日本大震災での原発事故や、ウクライナ戦争など、今もなおリアルタイムで起こっているんだと感じ入りました。

奈良美智の作品

ヤノベケンジの作品

また、小泉明朗の映像作品は、神風特攻隊員に扮した若い役者さんがカメラの前で別れの言葉を言う映像で、何度もしつこく「もっと侍魂を」と指示を出されながら段々エスカレートしていく様子(最後には小泉明朗が声だけで母親役で登場)は、見ている側も段々と苦しくなるようなダイレクトに意図が伝わるものでした。

 重いテーマだったな・・・というずっしりした気持ちで次の部屋へ向かうと、またガラっと雰囲気が変わり、「自己と他者と」というテーマで、森万里子、やなぎみわ、西山美なコなど、ジェンダーや国籍などの帰属に対峙する作品が展示されていました。
 私が面白いなと思ったのは、イ・ブルのタコのような不思議なコスチュームで、1990年に「日韓パフォーマンスフェスティバル」で来日し、このコスチュームを来て都内各地を移動したそうです。ずいぶん動きにくそうなコスチュームで、やはり途中で転んだり「自由な動きを阻む社会の規範や障壁と格闘する存在の切実さ」を表現しているそうです。

イ・ブルの作品

あと面白かったのは、束芋の映像作品でした。束芋は、奈良や村上ほど知名度は高くありませんが、日本社会をテーマとしたユーモラスな映像作品をつくっている女性の作家です。花札、銭湯、台所などの庶民的なものをモチーフに使い、現代日本の社会が抱える問題をアニメーションで表現しています。今回展示されていた作品は、大きな3面のスクリーンに公衆トイレの風景が映され、トイレに亀が流されたり、人が飛び込んだりと不気味な感じでした。次に何が起きるのか、終始ヒヤヒヤしながら“怖いもの見たさ”を味わうような面白さがありました。

 この他にも、川俣正や小沢剛など、本当に見応えじゅうぶんの展覧会でした。

 ところで、私は奈良の作品がとても好きで、よもやま話にも数回書いています。(美術ヨモヤマ話「歳を経て奈良美智の少女は何を想うのでしょうか」 / 美術ヨモヤマ話「奈良美智の少女を泣かせたのは誰? 」

奈良美智の少女

奈良美智の少女

二度の世界大戦や、ナチスドイツによる惨劇などドイツ文化の背景をもつ奈良の少女は、親しみやすさと神聖さ、無邪気さと残酷さなど、一見相反する性格を共存させ、観るものの想像力を刺激します。

 他方、村上隆の作品も画廊でよく扱っているのですが、村上隆の作品は、同じ作家の作品なのかしらと思うくらい、時代によって違っています。

 時代のプリズム展のチラシには、「村上は伝統的な日本美術の二次元性とポップカルチャーを結びつけて「スーパーフラット」という概念を提唱し、既存のハイアートや欧米中心の美術史を攪乱した」と書かれていました。美術史に大きな一ページを刻んでいますよね。

 奈良と村上 単純に比べられないですが、私には、奈良にはドイツが、村上にはニューヨークの感じがします。

時代のプリズム展には、国内外50を超えるアーティストの作品が展示されていたのですが、チラシには「昭和が終わり、平成の始まった1989年から2010年。冷戦の終結とグローバル化の進展により、人や情報の往来が活発化し、国際的な対話が広がり見せたこの20年間」と記載されていて、作品には何となく歴史や思想を感じさせるものが多いような気がしました。

でも今私が、オークションなどで見る最近のアートの作品には、そんな感じはあまりなくて、歴史や思想を感じさせない、まるで「漫画」のような作品が多くなったような気がします。

ただこれも、いつまでもそうとは限りません。2025年の今、新しい冷戦が始まり、グローバル化とは逆の各国ごとのナショナリズムの動きを感じます。そんな「歴史」の流れの中で、また新しい「思想」を感じさせるアートが生まれて来るかもしれません。

美術品の業界では、モダンアート(modern art)は1960年代から1970年代の作品を、コンテンポラリーアート(contemporary art)は、それ以降の今日に至るまでの作品を指す場合が多いのですが、日本語の「近代」や「現代」とピッタリ合うわけではありません。
毎日のニュースを見れば「現代」はすごく流動的で、世界がどう変化していくのか誰にもわかりません。そんな中で、日本の令和の時代のアートがどう変化していくのか、とても面白いですよね。


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