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日本人の桜とダミアン・ハーストの桜

国立新美術館で、ダミアン・ハーストの桜を観ました。
大きい作品は縦5メートル、横7メートルもあり、すごい迫力があり、「わー綺麗だなあ」「すごいなあ」と素直に感動しました。

ダミアン・ハースト

 でも日本人の描く桜とは、ずいぶん違うなあと思いました。

中島千波

 比べること自体が間違いかもしれませんが、何となく日本では、桜は「特別な花」です。
「さくら花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに」という古今和歌集の歌は、「桜花よ、散り乱れて空を曇らせておくれ。老いというものがやってくるだろうと聞いている。その老いのやって来る道が花びらで紛れて見分けがつかなくなってしまうように」という意味だそうです。

 梶井基次郎の、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」も有名です。

 坂口安吾の「桜の森の満開の下」は、「昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。」と始まり、散々人を殺してきた山賊が愛した女を背負って、深夜「満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷めたくなるようでした。彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄に不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。男の背中にしがみついているのは、全身が紫色の顔の大きな老婆でした。その口は耳までさけ、ちぢくれた髪の毛は緑でした。」ということで、男が「鬼」を絞め殺したら、「彼のしめ殺したのはさっきと変らず矢張り女で、同じ女の屍体がそこに在るばかりだからでありました。」という話しですもんねえ。

 日本では、桜というと、とくに満開の桜というと、描く画家も、観る私たちも、何となく、美しいけれど「はかない」とか、「どこか恐ろしい」という思いがあるのではないでしょうか。

千住博

 ところがダミアン・ハーストは、”Natural History”という、死んだ動物(鮫、牛、羊)をホルマリンによって保存したシリーズが有名なイギリスの現代美術家です。

ダミアン・ハースト

 作家のデビュー当時は概念芸術(コンセプチュアルアート)が主流で、作家自身も絵画を自分の視覚言語として受け入れられなかったそうです。
それが「桜を描くの?」ということで、展覧会を観にいったのですが、私は、ダミアン・ハーストの桜を観て、日本人の描く桜とは、全く違うと思ったんです。
「スポット・ペインテイング」という技法で描かれているんです。

ダミアン・ハースト

 ダミアン・ハーストの 「スポット・ペインテイング」 で有名なのは、四角い白地のキャンバスに等間隔で同じ大きさのドット(点)が描かれている作品ですが、ドットひとつひとつを正方形状に切り離して売って、大もうけしたりとか、ダミアン・ハーストは「ビジネスとしてアート活動を行う芸術家としても知られており、世界で最も稼ぐ存命の現代アーティストとも言われている」そうです。
 今回の展覧会で、ダミアン・ハーストが、「桜」を描いているビデオが映されていたのですが、花びらの一枚一枚を、絵筆から絵の具を投げつけるようにして、「ドット」みたいに描いていくんですよ。それがとても力強く、そうして描かれた作品もすごい説得力を帯びています。

 そして、そこには、ジョルジュ・スーラの点描画や、ファン・ゴッホの影響や、ジャクソン・ポロックのアクション・ペインテイングとか、さまざまな「絵画」との連なりを感じます。
 ビデオの中で、最初は何種類もの「ピンク」と「白」の絵具を作って描いていたが、そうすると「色に命がない」。そんな中で街の街路樹を見ると光の中に「赤」と「青」の光がチラつくことを発見し、様々な色を入れることで「絵全体に生命が宿った」と語るところはまさに印象派です。

 ダミアン・ハーストは、ホルマリンで有名で、「絵画を馬鹿にしていたんじゃないのかしら」と勝手に思っていたのですが、今回の桜を観て考えを改めました。ポロックを知り自分の抽象表現は終わったと語っていたダミアン・ハーストが、「絵で失敗するなんて幻想だ」と体を動かして桜を描く姿に「やはり絵画へ帰って来るんだ。絵画って素晴らしいんだな。」と感じました。
 私には、もう一つ誤解があるみたいです。私は、「日本の画家とは違うなあ、文化の違いかしら」と、やはり勝手に思ったのですが、ダミアン・ハースト自身は、「<桜>のシリーズは、美と生と死についての作品なんだ。それらは極端で、どこか野暮ったい。愛で歪められたジャクソン・ポロックみたいにね。<桜>は装飾的だが、自然からアイデアを得ている。欲望、周囲の事柄をどのように扱い、何に変化させるのかについて、さらに狂気的で視覚的な美の儚さ(はかなさ)についても表現している。<桜>は快晴の空を背にして満開に咲き誇る一本の木だ。」と述べています。
 うーむ、やっぱり洋の東西を問わず、桜は「狂気的で視覚的な美の儚さについても表現している」んですかねえ?

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