世界のムナカタってどうやってメイキングされたの?
— 2023年11月27日世界のムナカタってどうやってメイキングされたの? 東京国立近代美術館で開催中の「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」(2023年10月6日~12月3日)を見てきました。 私は銀座で画廊をはじめたとき…
3件。これまでに主な取扱い作品がございます。
1885年 岩手県和賀郡東和町の商家(回送問屋「八丁」)に生まれる。
1901年 大下藤次郎『水彩画之栞』を読み、大下に作品を送り、批評を受ける。
1903年 上京し、早稲田中学で学びながら、白馬会第二研究所(菊坂研究所)で素描を学ぶ。
1906年 臨済宗円覚寺派の宗活禅師に従って、アメリカ西海岸にわたる。サンフランシスコの美術学校で本格的な修業をすることを目指すが、この年におきた大地震で生活が困難になり、数ヶ月で帰国する。
1907年 東京美術学校西洋画科に入学する。
1909年 よ志と結婚する。
1911年 日本画家の広島新太郎(のちの広島晃甫)らとアブサント会を結成する。
1912年 東京美術学校の卒業制作として、《裸体美人》を提出する。この頃の作品は後期印象派やフォーヴィスムの影響が強い。
1912年 フュウザン会第1回展に出品する。
1914年~16年 土沢に帰郷、妻に電灯会社代理店を任せ、自らは制作に没頭する。フォーヴィスム的な色彩は影をひそめ、茶褐色を主とした作品を描く。
1917年 二科展にキュビスム的作品の《もたれて立つ人》を出品する。
1919年 病気療養のため、神奈川県茅ヶ崎市に転居する。鳥海青児、原精一らが薫陶を受ける。
1922年 春陽会の設立に参加する。
1922年 鉄人会を起こし南画の研究を進める。
1927年 結核のため、神奈川県にて逝去。
世界のムナカタってどうやってメイキングされたの? 東京国立近代美術館で開催中の「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」(2023年10月6日~12月3日)を見てきました。 私は銀座で画廊をはじめたとき…
先日、ある集まりでアート・キュレーション代表の美術評論家村上哲さんの「アートは国境を超えて」と題する講演をお聴きしました。村上さんは比較芸術学が専門で、日本の浮世絵とフランス絵画の出会いについてのとても興味深いお話だった…
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